「あなたのため」と言う前に、相手の本当の気持ちを想像していますか
職場の指導や親子間の会話などで、こういうやりとりを聞くことがあります。自分も上司から言われたことがあります。
「あなたのためを思って言っているんだぞ。」
この言葉、私は苦手です。
そう言われた経験はありませんか。
そしてその言葉は本当に「相手のため」なのでしょうか。
家族間でもすれ違う善意の押し売り?
父が多額のローンを組んでマンションを購入したときもそう。
母が車の運転で軽い接触事故を起こし、父が衝突防止機能付きの新車をローンを組んで購入したときもそう。
これらを父は「母のために買ったんだ」と言っていました。
でも私は母が「その車が欲しい」と言っていたのを聞いたことがありません。
先日、実家でその話題になり、父は再びこう言いました。
「あの車は母のために買った。」
たまりかねて訊き返しました。
「それ、本当に母が望んでた?望んでるの聞いたことないけど。」
父は押し黙っていました。
結局、「あなたのため」と言いながら、満足していたのは自分自身ではないか。
価値観の押しつけではないのか。
「自分の思いやり」は相手にとっての「ありがた迷惑」かもしれない
人にはそれぞれ、うれしいと感じるツボのようなものがあります。
モノをもらって喜ぶ人もいれば、言葉や行動で愛情を感じる人もいます。
「自分がうれしいから、相手もうれしいだろう」という思い込みは、すれ違いを生みます。
そんなすれ違いを防ぐ考え方として、私が勉強になったのが、書籍『愛を伝える5つの方法(5 Love Languages)』です。
この本では、愛の伝え方には以下の5つのパターンがあると説明されています。
- 肯定的な言葉(Words of Affirmation)
- 贈り物(Gifts)
- サービス行為(Acts of Service)
- 一緒に過ごす時間(Quality Time)
- 身体的なスキンシップ(Physical Touch)
人によって、どの方法に愛を感じるかは異なります。
自分が「これが正解だ」と思ってしていることが、相手にとっては不正解の可能性がある。
まとめ:本当の思いやりとは、相手がどう感じるかを考えること
「あなたのため」は、本当に相手が喜ぶことか。
それとも、自分が「そうされたい」と思ったから、しただけではないのか。
思いやりと自己満足は紙一重。
誰かを大切に思うなら、その人がどうされたら嬉しいのかを知ろうとする努力こそが、本当の愛情なのではないでしょうか。
自戒を込めて書きました。
ご覧いただきありがとうございました。